k-styleにようこそ
k-styleの いのち(命)研究  

k-styleの全力、全生命力を捧げます

k-styleは喜びの心で仕え、捧げます


25 「科学と霊性、宇宙とプラーナ(霊気) U」

通常は見えていないオーラについて、今現在は見えていない人々にとっては、事実と異なる(非科学的)として、全否定をしてしまう事も出来ます。

しかし、多くの人々(中には真も偽もあるとしても)が証言している以上、その存在を、もしかするとあるかもしれない位には考えて下さい。

オーラは確かにあります。私は、オーラを自分で見ています。

オーラが見えるようになった頃(前後)から、様々な通常見えないものが見えたり、感じられたりする事も事実です。

それは、同じ接・異次元界(物質的現世界に限りなく接する(浸透している世界))に属する現象と言えます。

したがって、今現在オーラが見えている人は、強弱の差はあっても、きっとそれら(通常見えないもの)も見えている(見える)と思います。

今はオーラは見えなくても、次に紹介する現象(プラーナ、霊気)が見えている人は多いようです。

それらの人々は、強弱の差はあっても、やがてオーラが見えてくる可能性があると、私は思っています。

 

あなたも、機会があったら試してみて下さい。(この光が見えるようになる人は多いと思います。しかし、自身に見える事自体にこだわる必要はありません。今は見えなくても、この存在を知る事によって、通常の五感を超えたものへの理解が深まる事に意味があります)

空を見て、視界を自分の周囲(近く)に意識します。そして、焦点を特に定めずに近くにずらして行きます。

その状態で、いつもは見えていない小さな光の乱舞(現れて、動き、直ぐ消える無数の光)を確認してみて下さい。

これを最初に見るためには、晴天の空が一番適していると思います。(決して、太陽を直接見ないように注意して下さい)

やがて、曇天でも、室内でも見える可能性が出てきます。

 

これは、飛蚊症と言われる眼科的症状とは、まったく違うものですから、この点勘違いの無いようにして下さい。

(これは一応私見ではありますが、飛蚊症で見える異物(蚊、糸、黒い点のように見える物)は眼球と共に動きます(原因が眼球内にある事を示しています)が、この光は眼球と共に動くような事はありません)

また、見え始め(少し見える時)は自分の目の中の現象ではないかと、判断しかねる時期がある事も事実です。

それは、この光自体は物質界に現れた(境界的)物質的現象ではあっても、限りなく異次元的世界に接する(境界面的現象)であるためです。

しかし、しっかりと見えるようになると疑念は解消します。

その見える数が、数百程度からやがて無数(無量)的になってしまうからです。

その光は、(もちろん私の場合ですが)頭を動かしても、眼球を動かしても、それと共に動くような事は決してありません。

その光は、(たとえば空を見上げている時は)その大空(大気中)一面に広がって、私の動きとは完全に独立して在り続けているのです。

この光現象を目の中の血管や組織等を用いた解釈では、決して説明できません。

そして、現時点の物質中心的医科学では、この現象について完全な解釈はしてはもらえません。

物質中心的医科学(霊性や異次元を認めない)で、説明しようとすると、その現象理解に無理が生じてしまうからです。

 

空を見ていると、通常には見えていない光が見えます。

空は晴れていても曇っていても、その光は見えます。

空であれば、どこに移動しても見えています。

自分自身を離れて遠くを見るという感覚ではありません。どちらかというと自分自身の周囲近くから、やがて全空間を意識します。

それは、意識(視覚的次元)を変えると、通常は見ないでいる事も出来ます。(この一点でも、肉眼(眼科症状)的な現象ではない事が理解できます)(私にとっては、オーラを見る場合と同じです)

 

その時の、その光の存在する空(空間)は、表現が難しいのですが、確かに空ですが、空でもあると同時に、次元を変えて(地上のあらゆる所に浸透するように接して)ある空間(空)と言うのがより正しいと感じます。

したがって、どこに移動しても常にその周囲空間(空)に全面的に存在しているのです。それは、その光がこの地上世界のすべての空間に浸透している事を示しています。ですから、その総量は計算の及ばない無限的(無量的)であると、私は実感しています。

この空間の感じ方について、物質的説明は難しいのですが、この現象している空間を面的現象のように感じられる事がある場合について、それは、この現象がどの位置においても、異次元からの浸透接合面的な現れ方がみられる現象であるからです。半物質から物質へと現れる(顕現)の微妙な境での現象と言えるでしょう。

しかし、この空間の面的現象のように見えている時期から、次第に全体的現象として見えてくる可能性があります。これは、捉え方(見ている側)の問題とも言えますが、次第に見える量を増し、同時により大きな(奥行きのある)全空間を捉えるようになります。

 

その小さな白い光は生滅を繰り返すように、自身で光って(輝いて)は消えて行きます。

その光は全空間に無数に拡がっています。

その光は絶え間なく次から次と現れては消えて行きます。

数える事は不可能な全空(全空間)の拡がりです。

その光は一つ一つが永くても一、二秒前後で消えて行きます(少なくとも今の私にはその様に見えています)。

その光の動きは、一つ一つが様々に自由に動いている為に、全体的には常に変化しています。

その光は一つ一つの動きが非常に個性的です。

その動きは、回転、旋回、浮遊、上昇、下降等、まさに自由自在です。

中には一箇所で非常に強く光って消えるものもあります。

その動きは、見る時に応じて、総体的に速くて活発な時、また遅くてゆっくりな時まで様々です。

速くて力強い動き(特に快晴時等)の様子は、喜びに勇躍し、速い動きを楽しんでいるように見える時もあります。

遅くてゆったりした動き(曇天時等)の様子は、のんびりと和やかな気分を楽しんでいるように見える時もあります。

自由自在の動きの中に、知性(感性)さえも表れている様に感じます。

常に動き続け、明滅を繰り返しているのです。

 

私は、その小さな白い光を無数の可憐な花火のように美しいと感じ、時の経つのを忘れる事もありました(時に光以外にも、同時に見えるものもありますが、それらについて今は確実な説明が出来る段階にありません)。

私は、その光を見たくて、ただ見続けている(空を見上げている)時もありました。

しかし、今は日常の事になって、毎日数回、数秒か数分程度見ています。

その光については様々な解釈や解説がされています。

 

先端科学も、物質性の源であるエネルギー、光、あるいは光的(粒子的、波動的)存在に(理論的に、さらには現象的に)迫ろうと追求しているようです。

しかし、現象的に地上物質として捉えようとしても、源のエネルギーそのものを捉える事はできません。

地上物質として捉えられるのは、源のエネルギー(異次元的光)が物質化した(粒子的、波動的)存在の形態や形跡、働き等であるのです。

過去には、その源のエネルギーと物質との関係を理論式として解いた人もいます。

エネルギーは物質(質量)と光(速度2乗)を乗じた値に等しい。

その意味するところは、エネルギーは物質(質量)と等価である(変換する)。

その究極は、エネルギーは物質(質量)と光に変換する事、物質と光はエネルギーに変換する(出来る)事を示しています。

 

宇宙(純粋)エネルギーは波動として働いた時、光的エネルギーとなり、さらには物質化エネルギーとして働くような性質(能力)があると考える事が出来ます。

この波動(周波数)理解(類推)のヒントとなるものに、ラジオやテレビ等の電波があります。現在我々の世界には、種々様々な(物質界内)周波数の電波が飛び交っていますが、その存在を、その周波数と同調する受信機で捉えると、音や光(映像)として変換する事によって、聞いたり見たり出来ます。

また、物質(形態変化)理解(類推)のヒントとなるものに、我々に最も身近で、大切な水があります。水は雪や氷(固体)となり、水(液体)となり、水蒸気(気体)となって気化して姿を隠し、また氷、雪、雨水等として物質的な形態を変えつつ、繰り返し循環しています。

純粋エネルギー波はその波動の周波数を変えて(次元的崩壊し)光となり電子となり原子となり分子となり、電磁気となり、さらに物質となって現れる(顕現する)素材となり、また、条件次第で、その波動を高めて、純粋エネルギー波になる(還る、次元的回帰)能力(性質)を持っていると、私は解釈しています。

この宇宙純粋エネルギーの深い真実の科学的理解には、この単一な世界(物質性)を超えた、多次元的世界や霊性を前提にした、概念や理論の必要性を私は感じています。

 

私自身は、その小さな白い光の本質属性(働き)の一つは、古来言われてきているプラーナ(霊気)であると確信しています。

そのプラーナ(霊気)の生命力を意識して、呼吸すると人間は元気を得ます(それは過去、仙人は霞(かすみ)を食べると表現されました)。

あなたも、時には意識して大切な呼吸をしてみて下さい。

意識して感謝の思念と共に真の呼吸(全身的吸収)をしてみて下さい。

あなたの心身に、より清浄なエネルギーが満たされる可能性が高まります。

人間の感謝の思念は、いのち(命)の源と調和します。宇宙エネルギーの補給はいのち(命)の源からの恵み(愛)です。

ですから、意識して吸収するという事は、いのち(命)の源と調和する意識を持って吸収するという事です。

あなたも心からの、真の愛と感謝と喜びの意識を持って下さい。

そうすると、その宇宙のエネルギー(プラーナ、霊気)の十分な補給が可能になり、より元気を得ます。

しかし、その意識の持ち方がどのようであるとしても、そのプラーナ(霊気)は、通常、地上のすべての存在に(それなりに)浸透し、その存在を物的、霊的に支えていると私は確信しています。

 

従って、我々は食物、水、空気等を通してプラーナ(霊気)を食事、呼吸、皮膚呼吸、物的・霊的浸透、チャクラ霊的吸入循環等によって、この身体に物的、霊的に吸収循環していると、私は実感しています。

我々はプラーナ(霊気)を、この身体(物的・霊的)を活動させる力(物的・霊的エネルギー)として循環利用しているのです。

そして、そのプラーナ(宇宙エネルギー)は、我々の心(意識)の思考する力として、また精妙・霊妙な霊的思念する力(霊的エネルギー)としても働いているのです。

地上の総ての生命はその恵み(宇宙エネルギー)に支えられています。あなたも私もこの生存(物的、霊的)を、その恵み(愛)に支えられています。

今日も明日も、これから先も(霊的存在としては永遠に)その真の愛に支えられています。大気の恵みと共に、水の恵み、大地の恵み、太陽(物的、霊的)の恵みに感謝の心を持って下さい。

 

我々地上に生きている生命(物的生命)にとって、物的太陽の光と熱等の恵み(エネルギー)は必要不可欠です(もしも、無ければ生き続ける事は出来ません)。

さらには、我々の肉体の生存には霊的身体(霊魂を宿した霊的身体)の存在が不可欠です。霊的身体の命の紐(シルバーコード、魂(玉)の緒、霊子線)が切れて霊的身体と共に霊魂が離れると肉体は生存維持ができません。

ですから、肉体生命であると共に霊的生命でもある我々にとって、霊的太陽(霊性)の恵み(霊的エネルギー)が必要不可欠であるのです(もしも、無ければ生き続ける事は出来ません)。

 

我々が現在住む世界(物質界)を真に支えているのは霊質(霊性)です。

この宇宙には、真実の宇宙エネルギー(霊的エネルギー)があります。

そして、それは、我々のいのち(命)の源の一面をイメージする、一つの手がかりとなります。

その宇宙エネルギー(霊的エネルギー)の光は、真の愛(普遍の愛)の恵み、そのものです。

その光の源(いのちの源)は、私たちを常に、どのような事があろうと、私たちが何をしようと、愛し続け、支え続け、恵み続けているのです。

私たちに起こる事は、総て真の愛によって裏打ち(霊的摂理の働き、霊魂の進化向上の為の深い意味付け)がされていて、その為に必要最善な状況が、常に提供され、表現されているのです。

私たちに起こる事は、総て過去の私たちの在り様から、過去の私たちが(その自由意志の許される範囲内で)望んだ(承諾した)結果であり、今の私たちが(その自由意志の許される範囲内で)選んで来た結果であるのです。

それは、表面の自我意識(顕在意識)では、定かに自覚する事が困難な事ではありますが、霊的摂理によって、完璧に公正に制御されています。

その霊的摂理(宇宙の自然法則)の奥に秘められた深い真の愛に気付く事が出来た時、今ここに生きている事に深い感謝と喜びを実感出来た時、我々は真我(本性、真の自分自身)の幸せを得られるのです。

 

私たちは、霊的には永遠(無限)の今を生きています。何ものにも変え(替え)難い、大切ないのち(命)であり、大切な人生です。

私たちは、偶然に生まれ、偶然に支えられて生きているのではありません。

私たちは、様々な支え(物的、霊的エネルギーの無限、無量の補給等)があってこそ、このいのち(命)を生き続ける事が出来るのです。

 

あなたが、この宇宙の深遠な摂理(自然法則)と、その奥に秘められた、いのち(命)の源の深い愛(真実の愛)を実感され、今回の人生をより大切にされて、愛と感謝と喜びの内に大きな成果(霊性向上)を成就されますように、私は願っています。

 

永遠のいのち(命)と愛と知恵と力の源(創造主)の摂理(この宇宙の自然法則)が正しく啓示され、その真実(真理)の光(輝き)が、あなたの大切ないのち(命)まで届きますように。愛と喜びの心で感謝を捧げます。ありがとうございます。


26 「科学と霊性、宇宙とプラーナ(霊気) V」

戻る