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5 「肉体と魂と霊魂」

霊界と比べたこの世は、何もかもが重くどんよりとして動きが遅く、鈍くて不快な世界です。

霊体と比べた肉体は、ねっとりとした濡れた毛布のように動き難く、重くて不快な身体です。

その呼吸は重くて、つらい不快な状態です。

霊妙ないのち(霊魂、霊体)にとって、肉体(有機物質生命体)はこの世限りの借り物です。

 

しかし、この世で活動(生活)する限り肉体は自分自身でもあります。この世の命の表現手段です。

したがって、霊魂は(通常)意識はしなくても、(霊的一面においては)生まれて以来この苦しさに耐えているとも言い得るのです。

(通常)混乱なく生きて行けるのは、この世の表面(顕在)意識を(ほぼ唯一の)自己意識として(日常目覚めている時)認識しているからです。

そして、そのような苦を伴なうこの世であるからこそ果たす事が出来るものがあるのです。

私たちのこの世の数十年〜百何年間は、その生き方によって貴重な体験の機会(チャンス)となるのです。

 

見方によっては、この肉体はこの上なく精密な(自分と完全に合体した)ロボットとも言えます。

したがってあなたは、このロボットが持っている動物的本能とも合体しています。

その行過ぎた本能があなた自身(霊魂、幽体)に深く染み付く(執着する)と後(死後)もやっかいです。

その執着ゆえにこの世やその近く(境界域、中間域等)に残ったり、他界(幽界、試練界等)で試練に入ったりとなります。

あなた自身(霊魂)はその本能をしっかり制御することもできます、その強い意志は自制心と呼ばれます。自制心にしっかり制御された本能は、この世に必要であるからこそ存在しているのです。

 

やがてこの世の寿命が来た時は、あなたはその肉体をこの世に返して置いて、抜け出て逝くのです。

それまでは手入れを怠らず、自制心を失わず、なるべく快適に利用することが大切です。

この世に肉体で生きているとは、それだけでも十分苦しい事なのです。

ですから、取りあえずこの人生を最後(寿命)まで誠実に生き抜くだけでも賞賛に値します。

霊魂にとって、この世をこの身体(肉体)で正しく生き抜く事がひとまずの目標です。

 

もう一つ、この世の人間の身体(肉体)についての評価が必要です。

現在人間が利用しているこの身体(肉体)は、この地上生物、動物としてのはるかな進化発展の成果でもあるのです。

それは現在の地上の物質科学の研究成果を見ても明らかですが、そこには魂(動物としての魂)の進化発展も伴っているのです。

その動物としての身体(肉体)に宿った魂(命)は、人間の霊魂のような個性としての継続は通常ありません。しかし、種としての魂全体(いのち(命))の継続(永続)的進化発展は遂げて来ているのです(人間以外の生命(意識)進化の詳細、特殊な事象、例外的事象等への言及はこちらでは控えます)。

自然界の存在物のすべてが霊性に支えられ霊的(存在、意識)の(霊的いのち(命)の永遠的)進化(相応の進化)を続けています。私たち地上人間は自然界のすべての存在に対し、真実の愛情と深い理解をもって行動(生活)することが大切です。

 

動物の魂(命)は(通常)死後その種としての魂全体の中に帰って行くのです。そしてその種としての全体の進化に貢献すると共に、(通常)個性を持たない新たな個別誕生を果たす事になるのです。したがって個性を持った個別の魂(独自)としての継続(永続)は基本的にはないのです。

ただし幽界等においては、例外的に個性をもった動物が一時的な存在を得る事はあり得ます。それはその動物と人間とのつながりによって起こります、それは人間も創造主と同じ霊としての力(愛情が根底にあります)がある程度働くという事の一つの現れであるのです。しかし、その時の動物の個性的存続は一時的であって、(通常)人霊のような個別の(個性的)永続性はありません。

いのち(命)としての魂(意識)の深遠な在り様については、その深い理解は(有限な)地上人間の思考(顕在意識)での理解には限界があります。無限なものを有限な感覚で深く理解することには大きな困難さがあるのです。

高等動物の魂の頂点に人間の魂があります。したがって、人間はすべての動物の魂としての歴史的総体的進化の結晶と言えるのです。

その魂と同じように肉体も、その動物界の人類進化の頂点に現在の人間はあるのです。いかに我々のこの身体(肉体)が大切なものかが解ります。

現在地上の動物を見ても、その遅々とした進化の間にそれぞれの種が繰り広げる試練の数々は理解できます。現在、他の動物とは明らかな一線を画した(自由意志と永続的個別性を得た)、人間としての肉体を得ているという事実の重大な希少性、貴重性、得難い達成感、幸福感が感じられますが、それ故にこそ、それ相応の責任感も感じられます。

 

動物的魂も同じ永遠性を持ったいのち(命)ではありますが、いかに魂(本能的知性等)を持っていたとしてもそれだけでは、個性(理性と良心)を持ったいのち(命)としての、人間の霊魂のような個別(独立)の永続性はありません。 

魂と肉体の進化の結果(結晶)として、多くの宗教にも説かれてきた、「そこに人間としての霊(霊魂)が吹き込まれた(宿った)」という事が可能になった(起きた)のです。そして、この地球上に人間として生まれ出る事になった霊魂は、永遠性を付与された個性的存在(個人、個霊)としての進化の歩みを始めたのです。

それについては、霊性の源(創造主)の意志(摂理、法則)が働いて事がなされた、としか表現が出来ません。作られた(創造された)者は、創造した側(源)を完全に知る事は出来ません、としか今は表現出来ないのです。

そして、その霊(霊魂)を永遠のいのち(命)として頂いている人間(人霊)は、創造主の霊的性質をも頂いているのです。地上人類の歴史に必ず何らかの創造主を敬う(思念する)宗教(信仰)が続いてきた事に、その一端を見る事が出来ます。それは自然発生的、直観的信仰心として現れているのです。

人間の霊(霊魂)はその深奥で、自らの霊性の源(創造主)を求める(おぼろげに知っている、かすかに感じている)と言う事が出来ます。その認識は、地上人間から霊の世界(幽界、霊界さらに上位)へと進むほどにはっきりと認識自覚されていきます。

 

この世の人間も自らが霊魂(人霊)であるからこそ、その霊性の源(創造主)をその程度に応じた形で想像する(思い描く)事が出来るのです。それには幼稚未熟なものから、次第に洗練浄化されたものまでの永い道のりがあったのです。もちろんこれからも霊性進化(浄化向上)は絶える事はありません。

人間の再生による信仰心も深まって行きます。霊魂の潜在的知識として、再生を繰り返すたびその信仰心は揺るぎのない崇高なものとなって行くのです。その真実は、未熟なものから上級のものまで見られる今の地上の事実が証明しています。

人間の生活文化が未開、未熟の時代にはそれなりの教示、啓示がなされましたが、霊性という事では常に霊界等からの何らかの助け(支援)が、多かれ少なかれ地上になされてきたのです。

大切な現在の助け(支援)は、その霊性の進化とともに高等化、清浄化しています。

我々地上の人間は、今の我々に合ったその霊的摂理を手にしているのです。

 

あなたがこの知識を真剣に考察されて、真の知恵の開発を果たされる事を、私は願っています。

 

永遠のいのち(命)と愛と知恵と力の源(創造主)の摂理(この宇宙の自然法則)が正しく啓示され、その真実(真理)の光(輝き)が、あなたの大切ないのち(命)まで届きますように。愛と喜びの心で感謝を捧げます。ありがとうございます。


6 「心がけ」

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