イエス・キリストの生涯

イエス・キリストの生涯

キリスト教は世界中に信者を持つにいたっています。
そのキリスト教の成立はイエスという一人の救世主(キリスト)の誕生によって始まりました。

イエス・キリストその人については新約聖書によって知る事ができます。
その聖書は現在世界中の言語に翻訳されています。
そして聖書自体はどのような人に読まれるかを問いません。
もちろんキリスト教信者に限りません、今信じているかを問いません。
新約聖書を読む事はイエスを知ることになります。
その中には真実のイエスを垣間見る事が出来ます。
新約聖書を読む事はイエスの説いた言葉を知ることになります。
その中には真実のイエスの言葉(真理の輝き)を見出す事が出来ます。


新約聖書の福音書に、イエスは中東ユダヤのベツレヘムにて父ヨセフ母マリアの子として生まれたと記されています。
今までの通説では、生まれたのは紀元前7年から前4年の間頃といわれています。マタイによる福音書にはイエスはヘロデ王治世(紀元前37年〜前4年)の時代に生まれたと記されています。(マタイ2)

イエスには弟妹が数人いたことが記されています。
イエスが育ったのはガリラヤのナザレというところでした。
父は大工でありイエスもそれを手伝っていた時期もあると推測されます。
また父はイエスの青年期の頃に亡くなったと思われますが確証はありません。
イエスは母や弟妹のために青年期を働いて(大工、等)過ごしたと思われます。
ある時期からはナザレを離れていた期間もあると思われますが、何歳ごろという確証はありません。

イエスは、少年期から青年期にかけて聖書(旧約)をよく読み、大切な本質に精通していたと思われます。
当時パリサイ派と呼ばれる人々の律法主義(自分たちの都合のいいように作った細かな規則を重視する)には疑問を持ち独自の信仰を育てつつ成長したものと思われます。
しかし、その生涯の内、誕生から公生涯の始まりまでの出来事は正確にはほとんど分からないのです。
イエスの年齢については、ルカによる福音書にはイエスが宣教を始めたのはおよそ30歳のころであったと記しています。(ルカ3)
ヨハネによる福音書には宣教をしているイエスに向かって人が言った『まだ50歳にもなっていないあなたが、、、』というものがあります(ヨハネ8)。


宣教を始める前に、イエスはバプテスマのヨハネと呼ばれる人の洗礼を受けます。(このバプテスマのヨハネは、川で水によって身と心を浄めるという形の洗礼を行っていました)
その時、天が開け、聖霊が鳩のように見える姿で、自分の上に降って来るのを、イエスは見たと福音書に記されています。さらには天からの「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声が聞こえてきた、とも記されています。(マタイ3、マルコ1、ルカ3)
この表現は、イエスと聖霊との深いつながりを象徴して(表して)いるものと思われます。
それについては、バプテスマのヨハネは「それを(聖霊が天から降ってこのかたの上にとどまるのを)、私は見た」と表現しています。
バプテスマのヨハネが、イエスをキリスト(救世主、メシア)と信じ、強い確信をもつ出来事であったのです。
さらにこのバプテスマのヨハネは、イエスについて「聖霊で洗礼を授ける人である」と言っています。(ヨハネ1)
バプテスマのヨハネは、既成の宗派には属さず、水で洗礼を授けて「神に立ち返れ、悔い改めよ」と人々に説きました。

イエスが宣教を始める前に洗礼を受けた、このバプテスマのヨハネは、獄中にて処刑されました。
その前後からイエスは、ガリラヤ地方において、福音(神のよい知らせ、真理)を説き始め、ユダヤの人々、時には外国の人々(異邦人)に対しても、その教えを説いたのです。
宣教を始めてからのイエスは、聖霊の力によって教えを説いたのです。
福音書は、ほとんどすべてが、宣教を始めてからのイエスの記録なのです。
それは、キリストとしてのイエスを知るためには、真理を伝える活動を始めてからのイエスの言動を知ることが、何より大切(必要)である事を示しています。


イエスはイエスを遣わされた方のもとからこの地上にその使命(真理を説き人々を救うこと)のために生まれたと記されています。
しかし、その地上の人の子として生まれ、それまで(宣教の時まで)成長した生涯は、それを知ってイエスを判断したり、評価したりする必要性の薄いものであることが解かります。

地上の人の子としてのイエスを知る(それにとらわれる)ことが、救世主としてのイエスを知ること(信じること)のさまたげとさえなり得るのです。

それは、次のイエスの言葉にも表現されています。
イエスが故郷のナザレで宣教をした時、イエスの話す言葉や知恵に驚いた町の人々が、「ただの大工のせがれではないか、われわれとどこが違うのか、母親はマリアだし、ヤコブたちは兄弟だ、妹たちもよく知っている、ここに住んでいるではないか」とイエスに反感を持った(腹を立てた)のに対して、「預言者はどこででも尊敬されます。ただ、自分の故郷、親族、家族の中では別です」とイエスは言っています。(マタイ13、マルコ6、ルカ4)

ある日、イエスの母や弟たちが、教えを聞く人々でごった返す家にきて、話があるから出て来るようにとことづけました。
 (当時のイエスの行動に対する人々の評価(世間)を心配して話しに(説得しに)来たのです) 
「お母様と弟さんたちがお会いしたいと外でお待ちです」と言われて、この時イエスは答えています。
「私の母と兄弟たちだって、それはいったいだれのことかね」
それから、ぐるりと回りを見渡し、
「この人たちこそ私の母であり兄弟です。だれでも、神の御心のままに歩む人が、私の兄弟、姉妹、また母なのですよ」と言っています。(マタイ12、マルコ3、ルカ8)

この時の、イエスの母や弟たちの心配(イエスが当時の指導者たちから命をねらわれ、多くの人々からは誤解され非難される)は理解出来るものですが、救世主としてのイエスの言葉や行動はその使命のままになされていたのです。


ある時イエスを信じきれない人々が「私たちはこの人の出身を(生まれも育ちも)知っている。だけど、救世主は何処からこられるか誰も知らないとされている」と言った時、イエスは言っています。
「確かに、あなたがたは私のことも私の出身も知っている。しかし、私を遣わされた方をあなたがたは知らない、私はその方を知っている。その方のもとから私は来たのです。その方は真実です」(ヨハネ7)

さらにイエスは身に危険が迫っている状況で、イエスを狙う指導者達から差し向けられた下役達のいるところでこう言っています。
「もうしばらくここにいます。それから私は自分をお遣わしになった方のもとへ帰るのです。
その時は私を探してもみつからない。私のいる所にもあなたがたはくることが出来ない」
このイエスの言葉の意味を当時の人々は理解出来なかったと福音書は記しています。(ヨハネ7)


その後紀元29〜36年頃イエスは十字架刑によって処刑されますが、
それ以前に、イエスが公に活動した期間(イエスの公生涯)の出来事は新約聖書に詳しく載っています。
イエスが時の大祭司らに捕縛された時、その弟子たちはイエスと行動を共にしていました。
しかしイエスの処刑前後には、その多くがイエスを見捨てて逃げ出し隠れていたとされます。

福音書は、「たとえ、皆があなたを見捨てようと、私だけは決してあなたを見捨てるようなことはありません」と言っていたペテロ(当時、弟子を代表する者として、彼の言動はすべての弟子の態度を象徴しています)が、大祭司側の人々から「イエスの弟子であろう」と問い詰められて、イエスの予言どおりに、三度までも「イエスを知らない」と強く否定したと記しています。
その時、夜明け時の鶏の鳴くのを聞いたペテロはわれに返り、「鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」というイエスの言葉を思い出し、外に駆け出して、激しく泣いたと記しています。(マタイ26、マルコ14、ルカ22、ヨハネ18)


その後(イエスの復活、昇天を経て)、イエスの説いた真理とその真の愛を確信し、知恵と勇気を得たペテロ、ヨハネ、ヤコブ等の弟子たち(加えて、イエスの母マリア、兄弟(弟、いとこ等)たち、何人かの婦人たち)は、祈ることを始めました。(使徒の宣教1、弟子たちの伝道記録1)

イエスからの力(聖霊の力)の恵みを得た彼らは人々への伝道を開始したのです。行く先々で多くの激しい迫害を受けながらも、イエスの教えの宣教を続けます。(ペテロを始め直弟子等の多くは各地において殉教したと伝わります)
そして新約聖書の成立(編集完成)により、その後、現在にいたるまで、世界中の人々にイエスの教えは伝えられているのです。



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